弘前さくらまつり!!お花見スポットは青森県 『弘前公園』に行こう

日本一の桜と弘前城でお花見はいかがでしょうか。美しい満開の桜と弘前城を見ようと国内外の観光客やカップルでにぎわいます。屋台や出店も多く、桜のお花見を楽しめるイベントとなっています。

出典:http://hana3939.com/archives/337

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■1・日本一の弘前の桜

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弘前公園内の桜は1715年に弘前藩士が京都から取り寄せ、植林したものです。もともとは25本でしたが、その後、1882年(明治15年)に旧藩士菊池楯衛がソメイヨシノを1000本植え、その後も1000本植栽しました。
その後、市民たちが次々と桜を植えて増やしていくようになりました。

この公園の桜は樹齢100年を越すものが300本以上あります。そのいずれも春には豊かで可憐な花を見せてくれます。この公園の桜の管理技術は非常に高く、多くの植物学者たちから高い評価を受けています。

弘前の桜はまるで雪花のようで、ひとつの花芽から吹き出るように多くの花が咲き、木が綿帽子をまとったような姿になります。

■2・桜を愛した旧弘前藩士と弘前の民

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昔の侍は帝をお守りするのが使命でした。江戸時代、帝は京においでになられました。弘前藩士が帝のお膝元の京の町に上がった折、京の嵐山から25本のカスミ桜を持ち帰りました。

その後、江戸は終わり、明治が始まります。もちろん侍の時代は終わり、お城は荒れていきました。その折、旧藩士の菊池楯衛がソメイヨシノ(吉野桜)を自費で植栽します。

この旧藩士が唇を噛み、黙って植えたのは吉野桜。この吉野山の桜を植えたという事実に人の心は揺れました。

「吉野山の桜」と一言言えば、人はもう何も言わなくても意味が通じてしまいます。今天下を取っていたと思うと次の朝には敵となり、安住の地を終われること。西行法師も吉野の桜を歌に呼んでいますし、彼を敬愛していた芭蕉も吉野山の桜を愛しました。

「義経千本桜」は落ち武者になる義経と彼を慕う静御前の物語、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目のひとつとして庶民似合いされていますが、舞台は吉野の山と吉野桜。

旧藩士は荒れた城跡に吉野桜を植え続け、また土地の人たちが勇気を奮い起こしてその後に続き、今のような日本一の桜の公園を作り上げました。

お城を行楽のために使うとは何事かと、植えた苗を惹きむしられることもありました。当時の新しい権力者には、反逆のしるしとも見え、心憎く写ったのでしょうか。

日本人には胸にぐっと迫るものがあるのは、そんな背景を己の身の上にかぶせてしまうからかもしれません。

■3・反骨の津軽人

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寒い地方の人は根性があると言いますが、荒れた城に吉野桜を植え続けた旧藩士、それに続いた元町民。
太平洋戦争時代でも「観桜会」は続けられ、日本の敗戦時に一時中断、1947年(終戦の2年後)からお花見は再開されました。

■さいごに

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いかがでしょうか。
津軽の弘前城と桜をご紹介させて頂きました。
あなたのお役に立てれば幸いです。
ごきげんよう!
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